明顕陵は、明世宗の嘉靖皇帝の父の献皇帝の朱佑杬と母の蒋氏を合葬する陵墓です。湖北省鐘祥市城の東北莫愁湖のほとりの純徳山にあり、明正徳十四年(1519)から嘉靖二十年(1541)までの間に建設され、22年を経て主体工事は終了しました。敷地面積二千七百四十七ムー三分二ミリ(約183.15ヘクタール)です。陵園全体、赤い壁と黄瓦がお互い照り映え、金や青に輝いていて、外羅城の全長は3600メートルで、うねうねと延びています。陵園は30余りの規模の大きい建築群から構成され、山や台地の地形に従って次第に碑、亭、坊、像生群、殿宇、方城明楼及び宝城などがあり、巧みに配置されて味わいがあり、尊卑秩序があり、山水の中に隠れており、建築芸術と環境美学を結合した天才傑作ともいえ、中国古代の葬儀芸術の最高表現形式と建築モデルです。特に「一陵二塚」の陵墓構造は、歴代帝王の墓でも珍しいもので、二つの隠れた地下玄宮の神秘感あり、世間には奇異と呼ばれています。1988年元月に全国の重要文化財に登録され、2000年11月30日に明代皇室陵墓代表として先立って「世界文化遺産リスト」に登録されました。
新中国建国以来、明顕陵は各級政府の重視を受け、著しい保護と発展を遂げました。1956年に湖北省人民政府によって第1陣の全省重点文物保護エリアとして公表され、1988年に元月は国務院によって第3回全国重点文物保護エリアとして公表され、2000年に世界文化遺産に登録され、明顕陵の文物保護、文化観光は更に豊富な成果をあげ、同時に、数世代の人々が明顕陵へのたゆまない努力も反映されています。国家人事部、文物局から「全国文物システム先進集団」として二回表彰され、ガイド受付課は共青団中央から「全国青年文明号」の名誉を授与され、16年連続で湖北省政府から「文明単位」を授与されました。
明顕陵は独立した帝王陵として、普遍的かつ特殊な歴史価値と意義を持っています。世界遺産委員会は「明顕陵は風水理論に従って、丹念に所在地を選んで、数多くの建築物を巧みに地下に設置し、それは人類が自然を変えた成果であり、伝統的な建築と装飾思想を体現し、帝制社会中国の数百年続く世界観と権力観を説明した。」と高く評価しました。
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